ざわーるどいずまいん

web系のベンチャーやってます

Twitterで人格が変わる事について考えてみた

はじめまして、関西でwebサービスをちょこちょこ頑張ってるしもたです。

主にテレビを実況するアプリを開発してます(https://appsto.re/jp/dFXL7.i

 

 

本業のサービスが全然進捗ないのにブログ更新しまくることに少し抵抗あったのですが

ようやくリテンションも徐々に上向きになってきたので不定期でやっていこうかなぁと思います。もちろんまだまだですが...。

 

さて、みなさんのTwitterやってますか?

フォローフォロワーの中にタイムラインでは超テンション高いのに、リアルでは物静かだったり、あるいはリアルだと気の強い印象の方が Twitterだとポエム連発してて、

 

この人SNSやとキャラ全然違うやん...

って経験ある人多いんじゃないですかね。

たぶん僕自身もそう思われているかもしれませんw

 

 

ゴッフマンという社会学者によると、

人間は常に相手との関係性を意識して、その場に応じた役割を無意識的に演じている

らしいです。

つまり、相手から見た自分を意識した上で、相応の発言や振る舞いを行う、とのことです。

 

例えば電車乗ってる時に逆立ちしたり

商談や講義中にうひゃーーーーーと叫びだす人はあまりいません。

なぜなら電車に乗っている乗客としての自分商談している自分”、”授業を聞いている自分にふさわしくないからです。

 

 

また、親しい人との間柄でさえこういう演技性は存在します。

親友と会話するときはいちいち敬語なんか使わないしフランクな話し方で冗談を交わしますよね。

けれど母親と話すときにお前呼ばわりしたり下ネタバンバン言ったりする人はあまりいないと思います。

少なくとも友達と話す時の自分と、親や兄弟といる時の自分でさえ、何らかの差異はあるはずです。

 

しかし、SNSは特殊です。

なにが特殊かというと、相手の表情が見えません。

普段なら相手の目を観ながら話す会話も、SNSはディスプレイを観ながらタップするだけです。

投稿する際にフォロワーの顔を全員分思い返す人はまずいません。

 

 

ゆえに必然的に演じるべき自分があまり想像できないのです。

相手からみた自分や期待されうるであろう自分がなかなか描きにくい。

演技性の根拠となる情報が少なすぎるのです。

よって先の演技性は普段よりも下がります。

 

 

ただ、ぼくはここにこそ、

インターネットにしかできないコミュニケーションの意義があると思っています。

素という言葉の定義にもよりますが、演技性が低いということは、それだけ飾っていないという事ではないでしょうか。

それだけ本音に近い、本来思っている感情なんじゃないでしょうか。

 

 

実社会で相手や環境によって抑圧されることなく、おもったことをそのままつぶやける。

そんな場はwebにしか実現できませんし、

それこそインターネットにしかできない役目ではないかなと思います。(キラキラ)

 

SNSで人格が変わるのではなく、TL上の彼こそ本来の彼なのかもしれませんね。